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●特別企画●2010年国際アンデルセン賞の候補者たち
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さる5月に、2010年国際アンデルセン賞の候補者が発表された。
数ある児童文学賞の中で、もっとも名誉あるもののひとつとされる本賞の候補には、
国際児童図書評議会(IBBY)に加盟する国から推薦された作家、画家が名を連ね
る。多数の候補者の全業績や作品などが慎重に時間をかけて検討、審査されたのち、
受賞者の発表および賞の授与式は西暦偶数年に行われる。
2010年の候補者をざっと見ると、邦訳が出版され日本でも人気の高い、イギリスの
作家デイヴィッド・アーモンドや、アメリカの絵本作家エリック・カールなどの名前
が挙がっている。その一方で、日本ではあまり紹介されていない作家、画家の名もあ
り、どんな作品を発表しているのだろうかと、とても興味深い。
今回は、本誌読者にお薦めしたい画家賞候補者の、未訳作品のレビューを2本お届
けする。
【参考】
▼国際児童図書評議会(IBBY)公式ウェブサイト
http://www.ibby.org/
▼2010年国際アンデルセン賞候補者リスト(IBBY内)
http://www.ibby.org/index.php?id=966
▽国際アンデルセン賞について(本誌1999年10月号情報編)
http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/1999/10a.htm#a1bungaku
▽国際アンデルセン賞受賞者リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)
http://www.yamaneko.org/bookdb/award/andersen/index.htm
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〜サッラ・サヴォライネン(フィンランド)〜
『ミッラとそこなしせんたくかご』(仮題)
ハンヌ・サヴォライネン文/サッラ・サヴォライネン絵
"Milla ja pohjaton pyykkikori"
text by Hannu Savolainen, illustrations by Salla Savolainen
WSOY, 2007 ISBN 978-9510333167(Finland)
30pp.
今日から夏休み。長い髪につけたリボンがかわいいミッラは、お母さんとでかける
約束なので、朝からうきうきしています。ところがお母さんは、着る服がないといっ
てパニックになり、寝込んでしまったのです。そのとき妖精が現れて、不思議な粉の
入った小さな袋をミッラにくれました。この粉をお母さんのクローゼットの中にまけ
ば、ステキな服が次から次に出てくる……はずでしたが、ミッラが気づかないうちに、
魔法の粉は袋ごと洗濯物のかごの中へ。さあそれからは、かごの洗濯物は洗っても洗
っても減らず、増え続けて止まりません。ミッラとお母さんとお父さんは、どうして
こんなことになったのかわからないまま、おばあちゃんにも応援を頼んで、朝から晩
まで洗濯機を回し続け、洗いあがった衣類を連日連夜干し続けます。
画面いっぱいにひるがえる洗濯物の、バラエティー豊かなこと、カラフルなこと!
細部まで描き込む画風はこの画家の特徴ですが、洗面所に置かれているこまごまとし
た日用品など、生活感があふれていて親しみがわきます。勢いのある細いラインの輪
郭に、明るいピンクやイエローで彩色を施したコミック風の絵は、とてもにぎやかな
印象です。太陽がまぶしい夏休みに巻き起こるてんやわんやの大騒動に、これ以上ぴ
ったりの絵はないでしょう。画家と作家は妻と夫でもあるとのこと、さすがに息のあ
ったところを見せてくれます。
底なし洗濯かごに振り回されるミッラ一家ですが、ついには夏休みらしい1日が訪
れて、ミッラも読者もそろってにっこり。魔法で増え続ける洗濯物はどうなるのかっ
て? 21世紀ならではの解決策が、用意されているんですよ。
【サッラ・サヴォライネン(Salla Savolainen)について】
1962年生まれ。ヘルシンキ芸術デザイン大学を卒業後、教材や雑誌類のイラストの
仕事を始める。2000年から児童書の挿絵を描くようになり、絵本、読み物ともにさま
ざまな作家とコンビを組んで製作してきたほか、自身が文も手がけた絵本を、これま
でに3作発表している。
2005年に、絵本 "Pikku Xing"(Leena Virtanen 文)の挿絵でルドルフ・コイヴ賞
を受賞。中国から養子としてフィンランド人の家庭に迎えられた少女の物語で、国際
養子縁組が増えているこの国の社会情勢が背景にある1冊だ。
活発な女の子 Vesta-Linnea を主人公とした絵本のシリーズは、スウェーデン系フ
ィンランド人作家 Tove Appelgren の文にサヴォライネンが絵を描く人気作。ドイツ
語、ロシア語、ヒンディー語など8つの言語に翻訳されている。シリーズ最新作であ
る4作目 "Vesta-Linneas svartaste tanke" は、2008年のフィンランディア・ジュ
ニア賞候補になった。
子どものいる一般家庭を取材し、それぞれの家の中の様子を絵と文でつづった異色
の絵本 "Mennaan jo kotiin"(Riina Katajavuori 文)では、緻密な描き込みを得意
とする画家の技量が光る。すみずみまで、実にこまやかに描かれたリビングや子ども
部屋の絵からは、そこで暮らす家族の息づかいと体温が伝わってくるようだ。
サヴォライネンは、2009年のブラティスラヴァ世界絵本原画展に、フィンランドか
ら作品が出展された7人のうちの1人でもあり、その活躍ぶりから目が離せない。作
品の邦訳はいまのところまだないが、今後、ぜひ日本の子どもたちのもとに、この画
家の手になる楽しい本がたくさん届くようになっていってほしい。
国際アンデルセン賞画家賞は、これまでフィンランドから受賞者が出たことはなく、
北欧全体でもデンマークから1970年代に2回だけだ。この北の国にそろそろ栄冠を、
と願っているのは、わたしだけではないだろう。
【参考】
▼ Vesta-Linnea シリーズ第4作の紹介(Books from Finland 内、英語)
http://www.booksfromfinland.fi/2009/03/vesta-linneas-svartaste-tank/
▽ルドルフ・コイヴ賞について(本誌2007年2月号「世界の児童文学賞」番外編)
http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2007/02.htm#kikaku
▽フィンランディア・ジュニア賞について(本誌2007年12月号「世界の本棚」)
http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2007/12.htm#bungaku1
【特殊文字】
「Vesta-Linnea」:「Linnea」の「e」の上にアクセント記号(´)がつく
「Mennaan jo kotiin」:「Mennaan」の全ての「a」の上にウムラウト(¨)がつく
(古市真由美)
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〜ユッタ・バウアー(ドイツ)〜
『ユリ!』(仮題)
キルステン・ボイエ文/ユッタ・バウアー絵
"Juli!: Alle Juli-Geschichten in einem Band"
text by Kirsten Boie, illustrations by Jutta Bauer
Beltz & Gelberg, 2006 ISBN 978-3407740014(Germany)
168pp.
(このレビューは、"Juli!" シリーズ全7巻の合冊版を参照して書かれています)
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ぼく、ユリ。幼稚園に通っているんだ。世界はぼくにとって驚きのかたまり、わか
らないことだらけだよ!
「トイレ怪獣」って知ってる? ぼくんちに住んでるんだ。すがたは見えないんだけ
どね。生きているもの全部が見えるなんてことはないだろう? みんなにトイレ怪獣
のことを教えてあげているのに、だれも信じてくれない。いったい、どうやってやっ
つければいいんだろう?(第5巻)
ママのお買い物についていくほど退屈なことはない。「自分のゴーカートに乗って
いっしょにいらっしゃい」ってママは言うけどさ……あ、あれもゴーカート?「ちが
うよ、これ、車椅子っていうんだ」、そう答えてくれた足の動かないお兄ちゃんと仲
良しになった。そしてね、車椅子ゴーカートを超高速で飛ばして遊んだんだ!(第3
巻)
ところで、こんな元気なぼくを生み出してくれたのはボイエって人で、ぼくを描い
てくれたのがユッタ・バウアーおばちゃんだ。バウアーおばちゃんの手にかかると、
とたんにぼくは、すうっと流れるように動きはじめる。特に、走っている姿がトレー
ドマークさ。それにぼくの怒った顔、むくれた顔見てよ、最高だから! 目のふちが
ほんのり赤くてさ。どんなにぼくが真剣に考えてるか、鈍感な大人たちだってもう1
回見てくれればさすがに気づくだろうね。ところどころに登場するぬいぐるみたちの
顔にも注目してくれるとうれしいな。愛嬌たっぷりだし、今にもおしゃべりしはじめ
そうな感じでしょ……。
【ユッタ・バウアー(Jutta Bauer)について】
ユッタ・バウアーは1955年、ドイツ・ハンブルクのフォルクスドルフ生まれ。ハン
ブルク造形大学在学中からイラストレーターとしての歩みを始めた。児童書分野での
初作品は、1981年の "Der Zauberbacker Balthasar"(Uwe Wandrey 文)だ。
バウアーの仕事は大きく4つに分けられる。ひとつめは著名な作家作品に挿絵を描
くことで、クリスティーネ・ネストリンガー(1984年国際アンデルセン賞、2003年ア
ストリッド・リンドグレーン記念文学賞)、キルステン・ボイエ(国際アンデルセン
賞3回ノミネート、2007年ドイツ児童文学賞特別賞)、クラウス・コルドン(ドイツ
児童文学賞2回受賞)らの代表作でその手腕を発揮している。
ふたつめが自分で文も書く絵本。バウアーの突き抜けた感性がもっとも発揮される
分野で、1998年『色の女王』(橋本香折訳/小学館)でトロースドルフ絵本賞、2001
年『おこりんぼママ』(橋本香折訳/小学館)でドイツ児童文学賞を受賞した。その
ほかに『羊のセルマ』(山崎慶子訳/二見書房)、『いつもだれかが…』(上田真而
子訳/徳間書店)も多数の国で訳されており、この4作品がユッタ・バウアーの名を
世界に知らしめたといってよい。
3つめが雑誌等への発表で、"Brigitte" という女性雑誌に掲載されていたコミッ
ク作品に言及しないわけにはいかないだろう。そして最後が、大学での講義や世界各
地を回るイラストレーションのワークショップである。
ユッタ・バウアーという名を聞くだけで、わたしのなかでユリが駆け回り、動物た
ちがずっこけ、光鮮やかなシーンが心に広がる。ドイツ語圏は2006年、2008年と国際
アンデルセン賞の舞台で栄誉が続いた。それを思うと欲張りなのだがバウアー・ファ
ンのはしくれとしては、ぜひ受賞を、と願わずにいられない。
【参考】
▼ドイツ国立図書館 ユッタ・バウアー作品一覧(ドイツ語)
https://portal.d-nb.de/opac.
htm?query=atr%3D120077752+OR+nid%3D120077752&method=simpleSearch
▽ドイツ児童文学賞受賞作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)
http://www.yamaneko.org/bookdb/award/de/dj/index.htm
【特殊文字】
「Zauberbacker」:ふたつめの「a」の上にウムラウト(¨)がつく
(たかおまゆみ) |