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●没後1年追悼●翻訳家 灰島かりさん
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2016年6月14日、翻訳家の灰島かりさんが66歳で亡くなられた。児童文学の翻訳家
として、また研究者として、精力的に活動されているさなかだった。急な病でこの世
を去られたことは、残念でならない。
灰島さんは、国際基督教大学卒業後、企業でPR誌の編集などに携わっていたが、
家族の転勤に伴って英国に渡り、サリー大学ローハンプトン大学院(現ローハンプト
ン大学大学院)で児童文学を学んだ。1995年に『猫語の教科書』(ポール・ギャリコ
作/スザンヌ・サース写真/筑摩書房)で翻訳家デビュー。以降、翻訳を手がけた作
品は英語圏の絵本、児童書を中心に70冊を超える。絵本、学術書の執筆や編集も手が
けたほか、大学やカルチャーセンターの講師を務めるなど、幅広くご活躍だった。
没後1年にあたり、灰島さんをしのび、そのご功績に敬意を表して、本号では灰島
さんの訳書の中から読み物2作品、絵本2作品のレビューをお届けする。なお、この
追悼企画を機に、当クラブ資料室内にて灰島さんの訳書・著作リストを新規公開した。
こちらもあわせてご覧いただきたい。
【参考】
▼灰島かりさん公式ウェブサイト「灰島かりの場所」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/karisplace/index.html
▽灰島かりさん訳書・著作リスト(6月14日公開)
http://www.yamaneko.org/bookdb/int/ls/khaijima.htm
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■レビュー■
◆白馬の地上絵に秘められた、古代の物語◆
『ケルトの白馬』 ローズマリー・サトクリフ作/灰島かり訳
ほるぷ出版 定価1,400円(本体) 2000.12 203ページ ISBN 978-4593533770
"Sun Horse, Moon Horse" by Rosemary Sutcliff
Bodley Head Children's Books, 1977
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イングランド、オックスフォードシャーにある地上絵「アフィントンの白馬」をご
存じだろうか。緑の丘の斜面に刻まれた長さ約110メートルのその地上絵は、今から
およそ3000年も前の青銅器時代に描かれたものだという。どこまでも続く丘陵地帯を
凛然と駆け抜けるこの白馬の絵は、力強く、生命の躍動が感じられる。いったい誰が、
何のために描いたのか。作者のサトクリフは、この歴史的な遺産の背景に、美しい物
語を見いだした。
主人公は古代ケルト人、イケニ族の族長の息子ルブリンだ。彼は幼いころから、音
楽や風の音、生き物の動きなどを形としてとらえ、優美な紋様のように描くことがで
きた。そんなルブリンの心に深く焼きついているのは、いつか見た馬の大移動だ。こ
とに、先頭を疾走する白馬の姿に魂を揺さぶられた。やがて成長し、死をも恐れぬ戦
士になるための教育が始まると、ルブリンは次第に絵を描く意欲を失っていく。そん
なある日、南の強大な部族、アトレバテース族が領地に攻め込んできた。激しい戦闘
となったが力の差は歴然で、夜が明けてみるとイケニ族の男はほとんど戦死していた。
かろうじて生き残ったルブリンは、ともに捕らえられた親友や妹、部族の者たちを救
うため、アトレバテース族の族長にある取引を提案する。
訳者の灰島さんは、イギリス留学中にこの作品に出会い、その美しい文章と物語に
深く感動したそうだ。帰国後、思いがけなく翻訳するチャンスに恵まれたというが、
まさになにかの巡り合わせという気がしてならない。白馬の地上絵と、そこに存在し
たであろう物語が、洗練された日本語によってぴたりとマッチし、一寸の違和感もな
い。こんなにも美しい物語を、美しいままで私たちに届けてくれたことに、心からの
感謝と敬意を表したい。
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【作】ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff):英国を代表する児童文学
作家、歴史小説家。2歳のころにかかった病気のせいで手足が不自由になり、生涯を
車いすで過ごした。1959年、ローマン・ブリテン4部作の第3作 "The Lantern
Bearers"(『ともしびをかかげて』猪熊葉子訳/岩波書店)でカーネギー賞を受賞し
た。
※『ともしびをかかげて』の作者名表記はローズマリ・サトクリフ。
【参考】
▼ローズマリー・サトクリフ(遺著管理者)公式ブログ
https://rosemarysutcliff.com/
(安田冬子)
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◆キャデラックで、ひと夏の忘れられない旅へ◆
『靴を売るシンデレラ』 ジョーン・バウアー作/灰島かり訳
小学館 定価1,500円(本体) 2009.07 315ページ ISBN 978-4092905139
"Rules of the Road" by Joan Bauer
Speak, 2005
★1998年ゴールデン・カイト賞フィクション部門受賞作品
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主人公ジェナは、母と妹とシカゴで暮らす16歳の女子高校生。両親は父のアルコー
ル依存症が原因で8歳の時に離婚しているが、父は時々ジェナに会いに来ては問題を
起こしていた。大好きな祖母はアルツハイマー病の症状が進んで老人ホームに入って
しまったし、学校でも179センチの長身をからかわれたりと、憂鬱な日々を送ってい
た。そんな日常を変えたのが、靴店でのアルバイトだ。ジェナにはセールスの才能が
あったのだ。靴を売ることを楽しんでいたジェナだが、ある日店に父がやってくる。
酔って醜態をさらした父を厳格な老・女社長に見られ、ジェナはクビを覚悟するも、
社長はひと夏の間専属のドライバーとして働かないかと言いだした。株主総会が行わ
れるテキサスを最終目的地に、各地の支店を視察しながら6週間のドライブ旅行に出
るという。運転免許は半年前に取ったばかりだし、73歳の社長との2人旅は大いに不
安だったが、父から逃れたい一心で、ジェナはドライバーを引き受けることを決めた。
作者は自身の経験をこの作品に投影している。アルコール依存症の父が離婚して家
を出てから、父の不在が辛かったことや、お酒の陰に怯え悪夢に悩まされたことなど
が、ジェナの人生として描かれている。ひと夏の旅でジェナは大きく成長するが、物
語はそれだけにとどまらない。社長の息子である副社長が、自分の利益のために会社
を乗っ取ろうとしていることが発覚するのだ。社長を助けるため、伝説の靴販売員や
元靴モデルのおばあさんなど個性豊かな人たちが活躍するほか、ジェナが背筋をピン
と伸ばして決戦の場、株主総会に出向く場面がなんともかっこいい。
訳者の灰島さんは、本書について小冊子「BOOKMARK」01号で「久しぶりに、翻訳し
たくて喉がクークー鳴る小説でした」と書いている。こんなにも強い思いをもって訳
されたのだと思うと、胸が熱くなる。希望とユーモアに満ち、ジェナのおばあちゃん
の名言が光るこの物語を、素晴らしい翻訳で日本の読者に届けてくれた灰島さんに、
改めて感謝を表したい。この作品には、ジェナのその後の姿を描いた続編 "Best
Foot Forward" もあるが、灰島さんの翻訳で読めないことが本当に残念だ。迷った時、
落ち込んだ時に背中を押してくれるジェナの物語が、たくさんの人に届きますように。
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【作】ジョーン・バウアー(Joan Bauer):1951年、米国イリノイ州生まれ。プロの
ストーリーテラーの祖母を持つ。人生に困難を抱えるティーンエイジャーを主人公に、
ユーモアを交えつつ逆境を力に変えていく物語を得意とし、これまでに執筆した13冊
はいずれも高い評価を受けている。邦訳作品は、『負けないパティシエガール』(灰
島かり訳/小学館)、『希望(ホープ)のいる町』(中田香訳/作品社)など。
【参考】
▼ジョーン・バウアー公式ウェブサイト
http://www.joanbauer.com/
▽ジョーン・バウアー作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)
http://www.yamaneko.org/bookdb/author/b/jbauer.htm
(山本真奈美)
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◆ほのぼの絵本から教わる絵本翻訳の極意◆
『だいすきだっこ』 ニック・ブランド文/フレヤ・ブラックウッド絵/灰島かり訳
岩崎書店 定価1,400円(本体) 2013.04 32ページ ISBN 978-4265850228
"The Runaway Hug" text by Nick Bland, illustrations by Freya Blackwood
★2012年オーストラリア児童図書賞 Early Childhood 部門受賞作品
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寝る前に〈だいすきだっこ〉をママにせがんだルーシー。ママは、今日の〈だいす
きだっこ〉の最後のひとつを「貸して」くれました。ぎゅっとだきしめてもらったル
ーシーは、「あとで返すね」といって、家族みんなに〈だいすきだっこ〉をしにいき
ます。パパと双子のお兄ちゃんと赤ちゃんの妹は、ぎゅっとすると、ぎゅっと返して
くれました。ところが犬のチャミったら、借りっぱなしで逃げていってしまい……。
表紙には、〈だいすきだっこ〉をする幼い姉妹の姿が、やわらかな細い線と水彩絵
の具で描かれている。この絵と書名をひと目見ただけで、ほのぼのとした温かい作品
だとわかる。扉の絵では、下着姿のルーシーがトイレに入っていたり、腰に手をあて
て歯みがきをしていたりと、なんだかコミカル。ページをめくっていくと、生活感あ
ふれる家の中の様子が身近に感じられ、愉快な気持ちになってくる。テレビでスポー
ツ観戦中のパパ、おもちゃのとりあいをしているお兄ちゃんたち、床にべたっとすわ
っている赤ちゃんの妹、元気いっぱいに走りまわる犬のチャミと、描かれているのは
日常生活そのもの。そして、忙しそうに家事をしていたママがルーシーの部屋で待っ
ていてくれたという最後の場面に、ささやかだけどとびきりの幸せが感じられる。
ほのぼのとしたこの絵本、原書を取り寄せて訳文とつきあわせてみたところ、テキ
ストは思いのほかシンプルで、英語というのは性別や年齢による話し方の違いが少な
い言語なのだと改めて気づかされた。テキストだけでなく絵も訳すという絵本翻訳の
基本に立ち返るきっかけにもなった。ご存知の方も多いと思うが、灰島かりさんには
『絵本翻訳教室へようこそ』(研究社)という著書がある。絵本翻訳の基礎から極意
までを教えてくれる質の高い学習書だ。私も久しぶりに開いてみて、絵本の訳文は英
文から少し離れたほうがいい場合もあることや、絵を読みとるポイントなど、多くの
ことを再認識した。これからも折にふれて開き、道しるべにしたいと思う。
今では誰もが知っているけれど定訳のない hug という単語を〈だいすきだっこ〉
と訳した灰島さんから、またひとつ絵本翻訳の極意を教わった。
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【文】ニック・ブランド(Nick Bland):1973年オーストラリア生まれ。独学で絵本
作家をめざし、文と絵の両方を手がけた "A Monster Wrote Me a Letter" で2005年
にデビュー。他の邦訳作品に、『ぺっこぺこヒグマ』『ぷんぷんヒグマ』(いずれも
あべ弘士訳/クレヨンハウス)がある。
【絵】フレヤ・ブラックウッド(Freya Blackwood):1975年生まれ。オーストラリ
ア在住。2003年に絵本の挿絵画家としてデビュー以来、オーストラリア児童図書賞で
受賞歴多数。"Harry and Hopper"(『さよならをいえるまで』マーガレット・ワイル
ド文/石崎洋司訳/岩崎書店)で2010年ケイト・グリーナウェイ賞受賞。近刊に『こ
の本をかくして』(マーガレット・ワイルド文/アーサー・ビナード訳/岩崎書店)。
【参考】
▼フレヤ・ブラックウッド公式ウェブサイト
http://www.freyablackwood.com.au/
(大作道子)
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◆絵本の世界に新しい時代の風を――◆
『ランドルフ・コールデコット 疾走した画家』
レナード・S・マーカス著/灰島かり訳
BL出版 定価2,800円(本体) 2016.05 64ページ ISBN 978-4776406273
"Randolph Caldecott: The Man Who Could Not Stop Drawing"
by Leonard S. Marcus
Frances Foster Books, Farrar Straus Giroux, 2013
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1846年、イングランドのチェスターに生まれた少年は、病弱ながら朗らかで、自然
と絵とユーモアを愛し、学校でも人気者だった。父親の意向で銀行の事務員となるが、
働きながら絵を描き続け、チャンスを求めてあらゆる努力を惜しまず、ついに新聞や
雑誌、本の挿絵画家として活躍するようになる。そんなある日、絵本の依頼が彼のも
とへ。ときは産業革命の真っただ中、蒸気機関車が大地を駆ける、大きな変化の時代
だ。動きのある絵とユーモアという自分の持ち味をいかして、新しい絵本を作ろう
――この思いが、絵本の世界における近代の扉を開くことになった。
彼の名前はランドルフ・コールデコット。現代絵本の父と呼ばれ、アメリカのすぐ
れた絵本に贈られるコールデコット賞の由来となった人物だ。この賞のメダルのレリ
ーフは、彼の絵本『ジョン・ギルピンのこっけいな出来事』(ウィリアム・クーパー
文/福音館書店/「現代絵本の扉をひらく コールデコットの絵本」所収)に描かれ
た、馬で疾走する男の絵をもとにして作られている。
彼の伝記絵本である本書は、39歳の若さで亡くなるまでの生涯をたどりながら、代
表作やスケッチ・習作をふんだんに紹介している。どの絵もじつに生き生きとして、
今にも動きだしそうだ。とくに絵本の製作では、作品に命を吹き込むために様々な工
夫を凝らしたことが見てとれる。そんな彼でも、自信を失った時期があったという。
でも悩んだ末に語った、「僕が得意なのは、心を病んで何か月も楽しそうな様子を見
せていない人を笑顔にすることだ」という言葉が印象深い。また友人のウォルター・
クレインたちの絵も紹介され、さらにはビアトリクス・ポターやモーリス・センダッ
クがどれほど影響を受けたかが語られて、当時の児童文学の流れを知ることもできる。
この本は灰島かりさんの最後の訳書となった。コールデコットの絵本への功績がよ
くわかる作品で、児童文学研究家の灰島さんにこそふさわしい仕事だと思う。また同
時に、若きコールデコットが夢を追う姿や、のちに画家として苦悩する様子などが目
に浮かぶように綴られており、翻訳者としての力量も余すところなく発揮されている。
児童書の研究と翻訳に心血を注いだ灰島さんの集大成といえるだろう。後進の私たち
の指針となるような、このすばらしい絵本を遺してくれたことに深く感謝したい。
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【著】レナード・S・マーカス(Leonard S. Marcus):アメリカ児童文学の歴史研
究家・評論家。イエール大学卒業後、アイオワ大学大学院で詩を学び、マーガレット
・ワイズ・ブラウンの伝記などを著す。最近の邦訳書に『アメリカ児童文学の歴史』
(前沢明枝監訳、おおつかのりこ、児玉敦子訳/原書房)がある。ニューヨーク在住。
【参考】
▼レナード・S・マーカス公式ウェブサイト
http://www.leonardmarcus.com/
(牛原眞弓) |