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●特集●第4次原書読破マラソンから その1
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やまねこ翻訳クラブでは、現在「第4次原書読破マラソン」を開催中。7月中旬か
ら12月中旬までの5か月にわたって、参加者は各自で選んだ原書を読み、あらすじと
感想を会員限定のオンライン掲示板にアップしていく。「広い意味で児童文学に含ま
れる作品」であることだけが条件で、グラフィックノベルも可、言語も問わない。紙
の本や電子書籍のほか、オーディオブックで「読む」参加者も。誰もが知る古典名作、
人種問題を扱ったもの、ディストピアものなど、さまざまな本が取り上げられ、掲示
板は日々盛り上がっている。その中から、お勧めの未訳作品をレビューでご紹介する。
今後も幅広いジャンルのレビューをお届けする予定なので、お楽しみに!
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"Voyage of the Sparrowhawk" 『スパローホーク号の航海』(仮題)
by Natasha Farrant ナターシャ・ファラント作
Faber & Faber, 2020, 368pp. ISBN 978-0571348763 (PB)
★2020年コスタ賞児童書部門受賞作品
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1919年、第1次世界大戦後の英国。主人公はともに12歳のベンとロッティ。ベンは
運河ボート、スパローホーク号でロッティと出会う。ベンは優しい養父を戦争で亡く
し、ボートでスパニエル犬エルシーと暮らしていた。ロッティは冷酷な伯父夫婦と同
居していたが、チワワのフレデリコを連れてスパローホーク号に逃げこんできたのだ。
やがてひとりの巡査が現れ、2人は急いでフランスへ船出する。捕まればベンは孤児
院へ、ロッティは寄宿学校へ送られてしまうからだ。自由を求めた逃走だった。
孤児院出身のはにかみ屋のベンと、大きなお屋敷育ちのおてんばなロッティが織り
なす冒険物語だ。巧みな語りで、ユーモラスかつシリアスに物語を運ぶ本作は、英国
クラシック作品のモチーフが彩りを添えている。ディケンズ作品の数々、そしてバー
ネットの『小公女』と『秘密の花園』だ。
主人公が健気である。2人のフランス行きへの切なる思いが胸に響いた。ベンは、
戦地で行方不明になった兄を探すため、ロッティは、非道な飼い主から救ったフレデ
リコを守るためと、音信不通の祖母を訪ねるためだった。
道中、いくつもの困難に見舞われるが、そこで大活躍するのが、いたずら好きの犬、
エルシーとフレデリコだ。切実な船旅は先行き不明だったが、2匹が思わぬ道をひら
く。2匹が窮地を救い、出会う大人たちを巻きこみ旅に協力させるのだ。戦争と愛す
る人を待つ暮らしで疲弊した大人たちは、乗員のひたむきさに突き動かされ、関所か
ら関所へ優しさのリレーを始めた。痛快で心温まる展開だ。
英国の内陸の村から運河と川を経て、外洋へ出る。その旅路は、主人公たちの心の
内奥が外に現れるまでの経過に重なった。2人は深いところで悲しみを抱えていた。
旅の高揚で一時は忘れていた感情が、戦争の爪痕に触れたことでこみあげたのだろう。
苦悩に揺れる姿に胸が詰まる。だが、嵐の中のドーバー海峡越えを遂げた2人には確
たる自信が見え、「なんだってできる」という希望を感じさせた。けれど、油断は禁
物。ともに、必死で追ってくる巡査から逃走中なのだ。果たして目的を達成できるの
か。手に汗握る逃走劇は最後まで読者の心をつかんで離さない。
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【作】Natasha Farrant(ナターシャ・ファラント):ロンドン生まれロンドン在住、
夫と2人の娘と暮らす。英国、フランス、オランダにルーツを持つ。大学卒業後、出
版社勤務を経て2008年に一般書でデビュー。2013年にYA作品 "The Things We Did
for Love" がブランフォード・ボウズ賞ショートリスト、カーネギー賞ノミネートと
なる。本作で2020年コスタ賞児童書部門を受賞した。
【参考】
▼ナターシャ・ファラント公式ウェブサイト
https://www.natashafarrant.com/
(小原美穂)
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"On Midnight Beach" 『ミッドナイト・ビーチ』(仮題)
by Marie-Louise Fitzpatrick マリー=ルイーズ・フィッツパトリック作
Faber & Faber, 2020, 310pp. ISBN 978-0571355594 (PB)
★2021年カーネギー賞ショートリスト作品
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1976年、記録的猛暑の夏を迎えたアイルランド。さびれた港町の入り江に、1頭の
イルカが迷いこんだ。野生の神秘と愛らしさをあわせもつイルカに、若者たちは夢中
になる。17歳の少女イーマーも、こっそり家をぬけだしては、夜の海に通う。父親に
恋愛や進学を禁じられ、息苦しさをおぼえる毎日だが、イルカの待つ真夜中の海辺に
は、つかのまの自由があった。イーマーが幼なじみの少年ドッグと恋に落ちると、秘
密の初恋を見守るイルカの存在は、いっそう輝きを増してゆく。
一方、大人たちはイルカを使った金もうけを企て、となり町の嫉妬を買う。対立は
過熱し、ついに2つの町の若者のあいだで抗争が起きる。ドッグも決闘にのめりこみ、
ふくれあがる憎しみに毒されたかのように、イルカまでもが凶暴になってゆく。イー
マーは不毛な争いに疑問を抱き、暴力の連鎖を止めようとするが……。
本作は、ケルト神話を下敷きにした青春小説だ。伝説の英雄クー・フーリンがドッ
グに、英雄の妻エウェル姫がイーマーに置きかえられている。もちろん、もとの伝説
を知らなくても楽しめる。あらすじを読んだだけでは、「イルカくらいで大さわぎす
るだろうか」と思うかもしれない。しかし、ひとたびページをめくれば、行間からに
じみでる神秘的な雰囲気とひと夏の高揚感が、読者を神話の世界にひきずりこむ。閉
塞感のある小さな港町の描写からは、いかにも不穏な気配が漂う。若者の率直な欲望
と神話のふしぎな魅力とが、詩情豊かな文章でうまく調和され、暴力や性的シーンも
幻想的に表現される。なかでも印象に残るのが、戦いを前に血気にはやる少年たちの
裸体をテントウムシの大群が赤く染める場面だ。残酷で美しい神話に心躍らせるとき
のように、いったん理性を脇において、青春の痛みと喜びを肌で感じてみてほしい。
語りの視点に、現代的・ジェンダー的ひねりを効かせているのも面白い。伝説では
エウェル姫は脇役だが、イーマーは自分の声で語り、物語の主役として力強く歩みだ
す。その姿に胸が熱くなった。巻末の解説を読み、本作は選択肢を奪われた少女の物
語でもあると気づく。イーマーが自由をつかめるのか、それは読者の判断に委ねられ
ている。イーマーに心の中でエールを送るとき、わたしもまた、彼女に強さをもらう。
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【作】Marie-Louise Fitzpatrick(マリー=ルイーズ・フィッツパトリック):アイ
ルランドの作家・イラストレーター。かわいらしい絵本から幻想的な読みものまで幅
広い作品を手がける。CBI最優秀児童図書賞/旧ビスト最優秀児童図書賞(現KP
MGアイルランド児童図書賞)の受賞回数は4回にのぼり、2010年の受賞作 "There"
は『あそこへ』(加島祥造訳/フレーベル館)として邦訳出版された。日本では他に、
文字のない絵本『ふくろうおやこ おやここうもり』(BL出版)が紹介されている。
【参考】
▼マリー=ルイーズ・フィッツパトリック公式ウェブサイト
https://www.marielouisefitzpatrick.com/
▼作者による作品紹介動画(YouTube 内 Faber & Faber のチャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=InLLSiWJPVY
(綿谷志穂)
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"The Valley of Lost Secrets" 『谷に秘められた謎』(仮題)
by Lesley Parr レスリー・パー作
Bloomsbury Children's Books, 2021, ISBN 978-1526620507 (EPUB)
Bloomsbury Children's Books, 2021, 304pp. ISBN 978-1526620521 (PB)
(このレビューは電子書籍版を参照して書かれています)
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第2次世界大戦中の1939年、12歳のジミーは集団疎開によって、ロンドンから南ウ
ェールズの炭鉱町にやってきた。共に疎開した弟のロニーや同級生たちは新しい暮ら
しにすぐなじんだのに、自分だけ順応できず、いら立ちながら日々を過ごしていた。
ある日、1人で谷を見下ろす丘にのぼったジミーは、大きな木のうろの中から頭蓋骨
を見つける。なぜこんなところに頭蓋骨が? この町には殺人犯がいるのか? 恐怖
を感じたが、だれにも相談できずにいた。
ジミーは、弟ロニーを町の意地悪な少年たちから助けてくれた同級生の少女、フロ
ーレンスと仲良くなる。ロンドンでは不潔な身なりのせいで嫌われていたフローレン
スだが、疎開先ではきちんとした服装をして見違えるほど明るくなっていた。彼女が
実母から虐待を受けていたという秘密を知り、ジミーも秘密にしていた頭蓋骨のこと
をフローレンスに打ち明けた。ロニーも加わり、3人は頭蓋骨がだれのもので、なぜ
そこにあったのかという謎を解き明かしていく……。
自然が美しい田舎を舞台に、戦時中の疎開の苦労、家族愛や友情、子どもの成長を
描いた、長く読み継がれてほしい作品である。はじめはかたくなだった主人公ジミー
が、次第に周囲を信頼し、心を開いていく様子が丁寧に語られる。幼い弟を懸命に守
ろうとする姿は胸を打つし、反抗的なジミーを辛抱強く見守る大人の存在も良い。フ
ローレンスはつらい経験をしてきたが、疎開先に救いを見出し、新たな自分として生
き直そうとする。彼女の強さは作中でジミーを変えるきっかけになるだけでなく、読
者である私の心までも大きく揺さぶるものだった。
本作はさらに、ミステリーをうまく融合させることで、現代の子どもたちも入り込
みやすく、楽しめる物語になっている。小さな伏線が回収されて謎の答えにつながっ
ていく過程は見事だ。ペーパーバック版ではイラストやページ番号部分に作中の謎を
解くヒントがかくされているので、読者もジミーたちと共に謎を解いている気分が味
わえる。謎解きの果てには、残酷でもあるが過去を解き放ち未来に希望を与える、感
動的な結末が待っている。
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【作】Lesley Parr(レスリー・パー):英国の作家。本作の舞台にもなっている英
国の南ウェールズの出身。バース・スパ大学の小説創作に関する課程を修了し、現在
は小学校教師の傍ら、作家として活動している。本作で作家デビュー。
【参考】
▼レスリー・パー公式ウェブサイト
https://www.lesleyparr.com/
▼作者による作品紹介動画(YouTube 内 Waterstones のチャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=in1r8jClhu4
(池田幸子) |