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やまねこ翻訳クラブ 資料室
中釜浩一郎さんインタビュー
(画家)


『月刊児童文学翻訳』98年11月号より

Q: 画家になられたきっかけはなんですか?

A: 絵を描くのは、昔から大好きでした。小さい頃、お小遣いで画用紙を買うのが本当に楽しみで――100円のお小遣いで買えるだけの画用紙(当時は1枚5円でしたから20枚)を買って帰るとき、何ともいえない幸せな気分でしたね。理容学校を卒業して、1年間理容師をしていたのですが、体をこわしたこともあって、画家としてやっていこうと思うようになりました。


Q: 児童書の挿し絵のお仕事について、詳しく教えてください。

A: 挿し絵をかくときは、当然のことですが、まずその作品をじっくり読み込みます。そして、情景を思い浮かべます。分からない部分があるときは、もちろん、調べものもします――この調べものが結構大変なんですけどね。絵を入れる箇所や枚数は、編集者の方と相談します。作家の方や、翻訳者の方とお会いする機会は、残念ながらほとんどないですね。1冊の本の挿し絵を仕上げる期間は、だいたい1か月弱でしょうか。

 絵のタッチも、作品の雰囲気によって変えます。私は、鉛筆やペンだけでなく、つまようじやサランラップなども使って絵を描くのですが、アメリカを代表する児童文学作家、カニグズバーグの『エリコの丘から』(佑学社)は、私がつまようじで挿し絵を描いた作品のひとつでした。

『エリコの丘から』表紙

『エリコの丘から』E.L. カニグズバーグ作 岡本浜江訳 佑学社 1988.11

 子どもは大好きなので、児童書の挿し絵を描くのは楽しいです。子どもの姿をうまく表現できるようにと、保育園に通ってスケッチをしたこともあります。でも、保育園の子どもたちが抱きついてきたりするので、スケッチどころではなくなることのほうが多かったのですが(笑)。みんなの似顔絵を描いてあげると、子どもたちが大喜びしてくれるので、それがまた楽しかった。子どもたちの喜ぶ姿を見ていると、絵を描いていてよかったなと心から思います。

 これからも、子どもに喜んでもらえるような絵を描いていきたいです。いつか絵本も手がけてみたいと思っています。

Q: 最初のお仕事について教えてください。

A: 高校1年生のとき、同級生の女の子に頼まれて絵を描いたことがあります。報酬はお金ではなく、船の形をした風鈴でしたが、とてもうれしかったのをおぼえています。その風鈴は、今でも大事にとってありますよ。はじめてお金をいただいたのは、ヘアスタイルのデザイン画を描いたときです。本の挿し絵を手がけたのは、『まぼろしのストライカー』(国土社)がはじめてでした。

 出版社には、片っ端から足を運びました。一度断られたところにも、何度も何度も通って、編集者の方の意見を聞きました。やはり、何事もあきらめないことが大事なのではないでしょうか。国土社から仕事をいただいたのも、たまたま絵を描く人が不足していたときに、まめに顔を出していた私を思い出してもらえたからなんです。あきらめずに通っていてよかったなと思いました。

『見習い物語』表紙

『見習い物語』

レオン・ガーフィールド作

 斎藤健一訳 ベネッセ 1992.3

中釜浩一郎作絵画

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【中釜浩一郎さん】

 1965年、鹿児島県生まれ。児童書や専門書など、幅広い分野で挿し絵を手がけ、活躍中。主な作品に、『汽車にのって』(講談社)、『天使の足あと』(徳間書店)、『銀色のクレヨン』(PHP)、『ドロップス』(パロル舎)、『タイムマシン』(集英社)、『ねこかぶりデイズ』(小峰書店)、『狼がくるとき』(佑学社)、『さよならクックー』(ポプラ社)、『見習い物語』(ベネッセ)などがある。よみうり日本テレビ文化センター、および、自宅の絵画教室「キララ」では、<児童書挿し絵入門>のクラスも開いている。東京都在住。

インタビュアー : 宮坂宏美

※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています。

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追悼 〜中釜浩一郎さん〜

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