2003年 岩波書店新刊情報 |
2003年12月刊行『クマのプーさん』の作者の素顔 待望の新訳!
『クマのプーさん』として、あまりにも有名なA.A.ミルン。 1975年に『ぼくたちは幸福だった ミルン自伝』(原昌・梅沢時子訳/研究者)として刊行された本書が、このたび石井桃子さんの新訳で読めるようになった。原書刊行は1939年。 ミルンが子どもの本を書いたのは、作家活動のうち5年くらいの間だけだった。 多くの子ども、そして大人に読まれている2冊の詩集(『ぼくたちがとても小さかったころ』『ぼくたちは六歳』)と2冊のお話集(『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』がそれだ。それまで、「劇や小説や戦争反対の文章を懸命に書いて生きてきた」ミルンが、「楽しく、一片の苦しみもなく、本の世界に送り出した」この4冊の本は、ミルンの生涯を大きく変えたという。 このプーさんがもたらした成功と苦しみはここでは詳しく語られていない。 ミルンがどのような幼少時代をおくったのか、大好きな兄ケンと過ごした幸福な時が、ユーモアを交えて語り、作家にいたるまでの時がつづられている。幼少年時代、中学・高校時代、大学時代、フリーランス時代、編集助手時代、アマチュア軍人時代、作家時代と、区切りをつけられた章の中で、特に12歳までを記した幼少年時代は、ミルンがケンと過ごした時が生き生きと描かれ、まるでさんさんと光がふりそそいでいるようだ。 訳者の石井桃子さんはあとがきでこう語られている。 ミルンは4冊の子どもの本を書いていた五年間に彼自身、一種の魔法の世界――子どもであって、大人である世界――に住んでいたのだといえないでしょうか。 【作者】A.A.ミルン A.A.Milne 私立学校を経営していたジョン・ヴィアン・ミルンの三男として、ロンドンに生まれる。ウェストミンスター校からケンブリッジ大学に進み、数学を専攻。1906年、風刺雑誌「パンチ」の編集助手となり、1913年、ドロシード・セリンコートと結婚。第一次世界大戦中は軍務に服する。以後、劇作家として活躍。1920年、息子クリストファー・ロビン誕生。1924年、童謡詩集『ぼくたちがとても小さかったころ』が英米で大評判となり、1926年『クマのプーさん』を誕生させるきっかけとなった。1927年、童謡詩集『ぼくたちは六歳』、1928年『プー横丁にたった家』。1939年に自伝を出版、翌40年にロンドンを引き払い、サセックス州コッチフォード・ファームへ移り住む。
|
2003年10月刊行岩波の子どもの本 20年ぶりの新刊3冊!
|
2003年9月刊行祝! 平成16年度産経児童出版文化賞・JR賞受賞作
|
2003年7月刊行
第2次世界大戦下のポーランド。 ゲットーから脱出しようとして、父さんの行方がわからなくなった。 食糧を調達するのは、5人きょうだいの末っ子スルリック。 その日も同じように、ゴミ箱の中に入って、食糧をあさっていた。 ゴミ箱からでてきたら、いつも待っていたはずの母さんがいない。 そのとき、スルリックはまだ8歳。 それから、森や農村をさすらう苛酷な生活がはじまった……。 スルリックの一番の財産は 「神さまがめったに与えてくださらない」笑み。 このあどけない笑みがスルリックの生を支える。 この物語は、作者オルレブが、ヨラム・フリードマンという人から聞いた子ども時代の話を書きまとめたものです。 【作者】ウーリー・オルレブ (Urk Orlev) 1931年、ポーランドのワルシャワに生まれる。ユダヤ人であるため、第二次世界大戦中、ゲットーやポーランド人区の隠れ家住まいをし、ベルゲン・ベルゼン収容所で終戦を迎える。戦後イスラエルに渡り、ヘブライ大学で学んだ。現在、エルサレム在住。1956年、ホロコースト体験を『鉛の兵隊』で発表。主な作品に、『壁のむこうの街』『壁のむこうから来た男』『砂のゲーム』『羽がはえたら』『Tシャツのライオン』など多数。1996年、国際アンデルセン賞作家賞受賞。 |
岩波書店
〒101-8002 東京都千代田区一ツ橋2丁目5番5号
電話 番号案内 03-5210-4000
Copyright(c) 2003-2004 Iwanami Shoten,Publishers.All rights reserved.
Last Modified: 2004/05/20
担当:さかな
HTML編集:
出版翻訳ネットワーク・やまねこ翻訳クラブ