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やまねこ翻訳クラブ レビュー集

やまねこのおすすめ(2003年10月)

<少年の、強制収容所における成長物語――>

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『運命ではなく』
"Sorstalansag; Roman Eines Schicksallosen" 
(Sortalansagの最後の a の上にウムラウト)
ケルテース・イムレ作
岩崎悦子訳

国書刊行会
2003.7
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*表紙の画像は、出版社の許可を得て使用しています。


 
人は、渦中にいる時ほど何がおきているのかわからない。事実と認識には時差が生じるが、えてしてこの事は忘れられがちだ。
 作者ケルテースは、インタビューでこう語ったという。
「ホロコースト文学の大半が、体験時には分からなかったはずの事実まで、分かっていたように扱っているのに違和感を感じていた」
 30歳になった時、ケルテースは小説を書くことにした。14歳の自分が体験したホロコーストについて、当時の思考、感情の揺れを再現しようと。そしてこの『運命ではなく』が書かれた。
 14歳、1944年に時計はもどる――。
 ケルテースは父親と継母の3人暮らし。父親が労働キャンプに召集されるため、学校を休むことになるところから、話ははじまる。一度学校に行き、休むことの許可を先生からもらう。それから、家へ帰り、労働キャンプに行く父親の買い物につきあう。その場面がゆっくり丁寧に、あちこち寄り道しながら語られる。父親が去ってから2か月後、今度はケルテースが勤労奉仕にかりだされる。勤労一色の生活ではなく、彼女もでき、初めてのキスも経験した。
 その彼女と初めてけんかをした次の日、変化が起きた。あとからわかるが、それはユダヤ人狩りだった。ケルテースは一緒に勤労奉仕に向かっていた友人らとともに、アウシュヴィッツへと送られる。
 ここから先は淡々と囚人としての生活が描写される。ケルテースは周りをひたすら観察する、人の話を聞く。ガス室の様子も伝えている。当然ながら、その時はガス室だとはわからない。シャワーをあびにいったと思ったのだ。ケルテースはこう書く。「そこのシャワーから、その人たちには水でなく、ガスがそそがれたのだ。そういったことすべては一度にでなく、細かいことが一つずつ積み重なってわかっていったのだ」
 語られている事柄はホロコーストなのだと、すでにわかっている読み手の私ですら、ページを繰る時にはケルテースの14歳の目で囚人生活をながめていた。日常の生活は労働や飢えで灰色の日々だが、時に退屈さえすること、目にする美しい自然に魅せられること、食事に出るコーヒーをのむうれしさも描いている。ゆっくり、少しずつ、ケルテースの14歳が伝わってくる。
 ふと、私にとってあとから思い出し、そうだったのかと理解する「その時」はいつだったろうと考えてみた。偶然にも、作者と同じ14歳の頃、私の生活が一変することがあった。抵抗してもどうしようもないことに、かんしゃく玉をはれつさせながら、やり過ごしていたあの時を思い出した。すきまなく出来事は起きるけれど、いやなこともいいことも、永遠に続くわけではない。つらい時にも退屈する時はあり、小さないいこともある。
 ケルテースは、強制収容所の〈恐ろしいこと〉だけでなく、それ以外の幸せについて話したいと小説の中で語っている。
 ありがとう――私はこの小説でそれを聞かせてもらった。
 
【作者】ケルテース・イムレ Imre Kertesz:1929年ハンガリーのブダペスト生まれ。第2次世界大戦中、アウシュヴィッツなどで収容所生活を送る。帰還後、高校を卒業し、新聞社、工場労働者などを経て、1953年からは、フリーランスの作家、翻訳家となる。ニーチェやカネッティなどドイツ文学の翻訳も手がける。2002年度ノーベル文学賞受賞。

【訳者】岩崎悦子 いわさきえつこ:1943年神奈川県生まれ。東京教育大学卒。東京外国語大学等のハンガリー語講師。訳書に、ハンガリー短篇集『トランシルヴァニアの仲間』(恒文社)、エルケーニョ・イシュトヴァーン『薔薇の展示会』(未知谷)、カリンティ・フリジェシュ他『そうはいっても飛ぶのはやさしい』(国書刊行会、共訳)他がある。

林さかな

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<それぞれの音色で奏でられる11の声――時代の証人たち>

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『11の声』
"Witness"
カレン・ヘス作
伊藤比呂美訳

理論社
2003.08

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*表紙の画像は、出版社の許可を得て使用しています。


 1924年、アメリカ、ヴァーモント州。この最北端の州の小さな町にも、「アメリカ出生主義」、「プロテスタントの白人優越主義」を掲げたKKK(クー・クラックス・クラン)の暗い影がしのびより、大小さまざまな事件がおこりはじめていた。作者カレン・ヘスは、町の住人11人に、心の内を入れ代わり立ち代わり語らせていく。"Witness" という原題の通り、11人ひとりひとりが証人だ。はじめは単なる声の寄せ集めのようにも思えるが、やがて、真実味と説得力のあるひとつの物語が目の前にあらわれてくる。

 レアノラ・サッター、12歳の少女。黒人であるという理由で、まわりから嫌がらせを受けていた。怒りに燃え、殻にとじこもるレアノラ。やがて、白人老人の家に手伝いに行くようになった。老人はレアノラの働きぶりをほめ、南北戦争で北軍に従軍したときの話などを聞かせる。
 エステル・ハーシュ、6歳のユダヤ人少女。「いなか体験留学」で滞在したセアラ・チッカリングの農場が大好きになり、父親を説得して、二人でニューヨークからセアラの家に引っ越してきた。無邪気で少し変わったしゃべり方をするエステルは、ひとりで生きてきたセアラの心をやわらげていく。
 マーリン・ヴァン・トーンハウト、レアノラと同じ学校に通う18歳の白人青年。レアノラを毛嫌いしていた彼は、KKKが町にやってくると、迷わず活動に参加する。
 やがて、KKKの動きが活発になり、十字架を燃やすというKKK恒例の「火の十字架」が実行された。また、エステル親子が同居するセアラの家の窓には、脅迫状が投げ込まれた。駐在所の巡査、新聞発行人、医者、食料品経営者夫妻、レストラン経営者、農場経営者のセアラ、そしてKKKの説教師といった大人たちを含めた11人の声が、緊迫感を帯び、高揚してくる……。

 KKKは、「低下したモラルを回復し、家庭に美徳を」と声高に叫び、貧困の家庭に手を差しのべる。そのうわべの姿から悪い活動ではないと判断し、仲間に加わった人々もいた。しかし、白い頭巾と白衣の下には、カトリック教徒、ユダヤ人、黒人、移民の人たちに対して、リンチや殺人などの残虐な行為を行う過激なテロ集団の姿が隠されていた。
 KKKに参加する者、非難する者、傍観する者、町の人々の反応は様々だった。食料品店を経営するハーヴィー・ペティボーンは、店が儲かるかもしれないという安易な理由からKKKに加わる。意気込んでKKKに入ったマーリンは、下働きのようなことをさせられていた。ふたりはリンチや殺人にも手を染めてしまうのだろうか。一方、「エステルと出会わなければ、わたしはKKKの婦人部に参加していたかもしれない」というセアラは、エステルと暮らしはじめてから少しずつ変わってきていた。そして、これ以上迷惑がかからないように農場を出ていこうとしたエステル親子をひきとめ、KKKに対して怒りをあらわにする。

 人のこりかたまった気持ちを変えるのは、いったい何だろう。
 レアノラが、ただ一心不乱にとった行動があった。エステルの無邪気な行動の数々もあった。そして、マーリンの行動も……。しかし、そういった行動があっても、それを見る側が相手の外見や身上にこだわっていては、行動の重みは伝わらない。見る側の心にまで響いてはじめて、人の気持ちを変えることができるのだ。11人の証人たちの声は、そのことを私に教えてくれた。
 本を閉じて、今という時代に目を戻す。日本で、アメリカで、世界で、私たちは、目と心をしっかり開いているだろうか。ほかのことに目を奪われ、何か大切なことを見過ごしてはいないだろうか。カレン・ヘスの作品を読むときには、いつも胸の痛みが伴う。心に傷跡が残ることもある。それでも、背をしゃんと伸ばして向き合っていたいと、そう思う。そこにある希望の光を信じて。

【作者】カレン・ヘス Karen Hesse :1952年、アメリカ、メリーランド州バルティモアに生まれ育つ。メリーランド大学を卒業後、さまざまな職を転々としながら詩や物語を書いてきた。1991年に初の作品 "Wish on a Unicorn" を発表。1998年には『ビリー・ジョーの大地』(伊藤比呂美訳/理論社)でニューベリー賞、スコット・オデール賞などを受賞した。他の作品に『イルカの歌』(金原瑞人訳/白水社)、『ふれ、ふれ、あめ!』(さくまゆみこ訳/岩崎書店)などがある。夫と二人の娘と共にヴァーモント州に在住。ヴァーモントは、大学卒業後、夫と共にアメリカ国中を旅した際、最後にたどり着いた地であるという。

【訳者】伊藤比呂美 いとうひろみ:1955年、東京生まれ。青山学院大学文学部卒。詩人、小説家。詩集に『伊藤比呂美詩集』、『わたしはあんじゅひめ子である』(ともに思潮社)、エッセイ集に『良いおっぱい悪いおっぱい』(集英社)、『居場所がない!』(朝日新聞社)などがある。小説『ラニーニャ』(新潮社)では、1999年野間文芸新人賞を受賞。訳書には『ビリー・ジョーの大地』(カレン・ヘス作/理論社/2002年産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞)や、絵本『きみの行く道』、『キャット イン ザ ハット』(ともに、ドクター・スース作/河出書房新社)がある。1997年よりカリフォルニア州在住。

【参考】
☆カレン・ヘス作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)

植村わらび

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