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やまねこ翻訳クラブ 資料室
 穂村 弘さん インタビュー

『月刊児童文学翻訳』2008年4月号に掲載された「プロに訊く」の記事です
 

 今回は、歌人として、短歌入門書、短歌絵本と、短歌にかかわる著作はもちろん、エッセイ、絵本の翻訳などでも大活躍。今、もっとも“旬な人”穂村弘さんに、言葉について、翻訳について、語っていただきました。2時間以上にもわたるインタビューのなかでは、穂村さんの鋭い感性や観察眼にドキリとさせられること幾度か。楽しい中にも実にたくさんの刺激をいただいたインタビューとなりました。

 

【 穂村弘(ほむら ひろし)さん 】

1962年札幌に生まれる。上智大学文学部英文学科を卒業。1990年に歌集『シンジケート』(沖積舎)でデビュー。会社づとめの後、現在は著作業に専念。主な翻訳作品に『ディア・ダイアリー』(サラ・ファネリ作/フレーベル館)、「しましまゼビー」シリーズ(ブライアン・パターソン作/岩崎書店)、著作に『もしもし、運命の人ですか。』(メディアファクトリー)、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館)など。




『ディア・ダイアリー』
サラ・ファネリ文・絵
ほむらひろし訳
フレーベル館
白水社

   『ディア・ダイアリー』 レビュー(本誌2002年2月号書評編)
   穂村弘さん訳書・作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室内) 

 



Q★絵本の翻訳をはじめられたきっかけは?
A☆『いじわるな天使から聞いた不思議な話』(大和書房)というショートストーリー集を読んだフレーベル館の編集者から、1995年に子どもの本のテキストを書きませんかという話をいただきました。でもその絵本のテキストは残念ながら採用になりませんでした。子どもを念頭に置いていなかったからです。そこで、まずは児童書になじむために翻訳をということで、サラ・ファネリの作品を手がけました。それがきっかけです。



Q★絵本翻訳のプロセスをおしえてください。

A☆ぼくの場合、まず、できるだけ早い段階で、一度、編集者に訳文を投げます。たとえば、ひとつの言葉について A or B or C というように可能性のある訳語をいくつか提示して、そこから編集者に選んでもらう。そしてひとつの言葉が決まると、その流れで前後が決まって……と、そういうやりとりを何回か続けていくうちに、言葉と言葉が有機的につながりだし、全体がまとまってきます。メールでのやりとりは、いつも平均十往復くらいかな。直接会ったほうがよければ、顔をあわせて相談したりもします。まずは原文をベタに訳したあとで、日本語を磨き、言葉の精度を高めていく。例えば "Gray" というひとつの単語に対しても、灰色→雨の日の空の色→雨の日の空色というふうに。"雨の日の空色"、この方がずっとポエティックでしょう? "Window" だったら、窓→窓ガラスとかね。翻訳というよりは、言葉遊びに近いのですが、ぼくにとっては楽しい作業です。
 あとタイトルも重要ですよね。タイトルはやはり、作品そのものを表現しますから、これが決まると、おのずと作品全体のトーンも決まってきます。『きぶんやさん』を『きぶんやちゃん』(トッド・パール作/フレーベル館)に直したことがあります。
 翻訳のための期間は短くて3週間かな。長いと半年くらい手元に置くこともあります。



Q★絵本翻訳のむずかしさはどこですか?
A☆ぼくにとって、むずかしいのは子どもに対するチューニングですね。例えば児童書には独特のボキャブラリーや言葉の使い方がある。"Mother" という単語ひとつをとってみても、日常生活で使われるときには「ママ」あるいは「お母さん」が一般的なのに、翻訳作品には「母さん」という言葉がかなりの度合いで出てきます。ぼくは児童書に関して専門的な知識があるわけではないので、このあたりの問題については、児童書のボキャブラリーや知識が豊富な編集者を大いに頼りにしています。
 また児童書や絵本には、こういう作品を子どもに与えたいという親や編集者の介入がつきものです。よくも悪くも、大人のフィルターを通してしか成立しないところがある。以前、ある絵本で、見開きのページの左にミルクカートンの絵と "White Milk" というテキスト、右に牛の絵と "Black Cow" というテキストがあって、ぼくはこれを“しろい ぎゅうにゅう”と“くろい にゅうぎゅう”と訳しました。言葉の反転という遊びも加わって、おもしろいと思ったのだけれど、編集の時点で“にゅうぎゅう”という言葉が子どもにはわかりにくいといわれ、結局“うし”になりました。ぼくは「子どもだって乳牛見たいかもしれないじゃん」と思ったんだけど(笑)。
 昔の福音館書店の作品なんかはすごいなと思いますね。今はラディカルなものが許されない。児童書に関するスタンダードはどこかで気にしつつも、おきまりのパターンには陥りたくないし、自分の感覚を大切にしたい。そこがむずかしいところです。どんな言葉にも必ずぴったりの日本語があるはずだし、理論的にはそれが可能だと思っています。でも、必ずしもいつもそれが見つかるとは限らないし、見つかっても使えるとは限りません。
 戦前の作品を読むと、その言葉の力に驚かされます。例えば小川未明の作品。不安な豊かさとでもいうか。ひとつにはかれらの時代は、人が常に死の影と隣り合わせに、使命感を持って生きていたということが根底にあるのではないでしょうか。今なら治るような病気も治らないとか、兄弟が10人いて、何人かは成人しないまま死んでしまうのもあたりまえというような時代。そんな明日死ぬかもしれないという危機感が、心からのあふれるような言葉を生んだような気がします。今は生きているのが普通で死ぬのは特別なこと。みんな、より長く、より健康に生きるということに一生懸命になっている。だれでも思春期には《死》というものを強く意識するものだけれど、ぼくは特にそれが強いタイプだった。今でもそういうところはあると思います。死が身近だった時代に生きた人々の言語感覚には憧れます。だったらひとりだけその昔に戻れといわれても困るんだけど(笑)。


 

Q★翻訳と創作の両方を手がける中で、相互作用みたいな効果は実感していますか?
あるいは両立はむずかしいと思われますか?
A☆自分にとって、翻訳と創作の感覚は同じ。あまりそういうことは意識していません。テキストそのものの完全形があると思っているので、翻訳でも創作でもそれを目指すだけです。散文の翻訳は考えていません。膨大な文章のすべてに、意識をむけるのは自分には無理だと思うので。



Q★これから翻訳をするとしたらどんな作品を?
A☆もしもできることなら、完璧な翻訳をやってみたい。あまりにも完璧すぎて、だれも手を出せないようなもの。でもそれは夢ですね。たとえばタイトルなんかにしたって、完璧すぎてこれ以上のものはでないというものがあるでしょう? 『赤毛のアン』とか『星の王子さま』とか。村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J・D・サリンジャー作/白水社)をタイトルにしたのは、『ライ麦畑でつかまえて』を超えるタイトルを見つけられなかったからでは? 『赤毛のアン』も『星の王子さま』も、日本で絶大な人気を得ている。これもタイトルや翻訳の力がとても大きいのではないかと思います。
 絵本の翻訳はこれからもやっていきたいと思っています。絵本は大好きなので。雑誌の「MOE」(白水社)に“ぼくの宝物絵本”という連載をしているので、詳しくはぜひそちらをごらんになってください(笑)。古い本(海外作品なら1920〜30年代、日本の作品なら1960年代のもの)も大好きで、できれば全部ほしいくらいです。スウェーデンにいったときにも古本屋で『長くつ下のピッピ』の初版本を買ったりしました。北欧の作品はいいですね。児童書はこうあるべきという枠にあまりとらわれていない気がするんです。たとえば「セーラーとペッカ」シリーズ(ヨックム・ノードストリューム作/菱木晃子訳/偕成社)とか。日本の作品なら『ジャリおじさん』(おおたけしんろう作/福音館書店)なんかが好きです。



Q★最後に翻訳者を目指す人へのメッセージをお願いいたします。
A☆プロになるには、英語はもちろんですが、バックボーンになる知識の豊富さがとても大切ではないでしょうか? 自分にはいう資格はないけれど、知人の翻訳家を見ていてそんなふうに思います。やっぱり自分が紹介したいジャンル、作品をはっきり持っている人は強いですよね。あともちろん日本語力も大きいと思います。




 インタビューを終えたわたしの中には、まるで香水をつくる調香師さながらに、色とりどりの液体が入った試験管を前に「ここに〈愛〉を1ミリ」などとつぶやきつつ、試行錯誤を繰りかえす、“言葉のサイエンティスト――穂村弘”のイメージができあがっていました。
 さまざまなメディアによる情報がはんらんする現代、その中で言葉の形も在り方もめまぐるしく変わっています。お話をうかがって、言葉の持つ時代性やイメージを喚起するパワーについて、あらためて考えさせられました。そして何より、「やっぱり言葉っておもしろい!」と。
 最後になりましたが、お忙しいなか、貴重なお時間をさいてくださった穂村弘さんに、心からのお礼を申しあげます。ありがとうございました。



インタビュアー:相山夏奏
2008-04-15作成

※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています

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