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やまねこ翻訳クラブ 資料室
グレイニエツさん&ほそのさんさんインタビュー


『月刊児童文学翻訳』99年12月号より

 マイケル・グレイニエツさん&ほそのあやこさんインタビュー ノーカット版

【マイケル・グレイニエツ(Michael Grejniec)さん】

 1955年ポーランド生まれ。ヨーロッパでイラストレーターとして活躍。1985年アメリカに移住。『お月さまってどんなあじ?』(セーラー出版)で1996年日本絵本賞翻訳絵本賞受賞。ニューヨーク在住。

【ほその あやこ(細野綾子)さん】

 1969年東京生まれ。1983年アメリカに移住。ニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業後、グラフィックデザイナーとして活躍。今年日本で出版されたグレイニエツ氏の絵本の翻訳を3冊手がけている。ニューヨーク在住。

【イ】インタビュアー 【グ】グレイニエツさん 【ほ】ほそのさん


◆日本の子どもたちの印象

【イ】グレイニエツさんにおうかがいます。来日されてから何度かお話会に出席されたようですが、日本の子どもたちの印象はいかがでしたか?

【グ】私は日本語がわかりませんので、目で見た子どもたちの動作からしか判断できないのですが、日本の子どもたちには、夏の強い日ざしのようなポジティブなエネルギーを感じ、見ているだけで自分も子どもにかえれるような気がしました。わーっと寄ってきて、さわられたり握手を求められたりしたことも驚きでした。形式的なアメリカの握手とは違い、日本での握手には「さわりたい」という感触を求める特別な思いがあり、人から人へと伝わる不思議なエネルギーを感じました。


◆新作の『クレリア』(セーラー出版)について

【イ】伸縮自在の不思議な生きものが主人公の『クレリア』が話題になっていますね。この絵本を読んだ日本の子どもたちから作文や絵が送られてきたそうですが、それについてはどう思われましたか。

【グ】子どもたちが「クレリア」という実在しないものを色や形も含めて素直に認めてくれたこと、また、クレリアがほかの虫たちに自分の寝床をゆずっていって最後には消えてしまうというストーリーを何の問題もなく受け入れてくれたことには、正直いって驚きました。というのも、アメリカでは宗教的な観点から「消える」ことが「死」をイメージさせるという理由で出版されなかったからです。
 この絵本を読み終えたあと、子どもたちがそれぞれの方法で前向きに『クレリア』という物語をとらえ、お話の続きを考えてみたり、絵に描いてみたり、外に飛び出して実際にクレリアを探してみたりしてくれたことは、うれしいことでした。そんなとらえ方をしてくれることを、作者として多少は期待していましたが、ここまで大きな反応を得られるとは思いませんでした。

  「クレリア」表紙
 

『クレリア』
マイケル・グレイニエツ作 ほそのあやこ訳
セーラー出版 1800円(税別)

【イ】この作品にはどんな思いが込められているのでしょうか。

【グ】クレリアは架空の生きものですが、消えてしまったことを子どもたちに受け入れられ、絵や工作などで呼び戻された時点で、実在したことになります。なぜなら、実在しないものを呼び戻すことはできないからです。このように、目の前にいないものに思いを馳せることで、それを現実にひきつける、あるいは、そばにいなくて寂しいと思うのではなく、そばにいないからこそ、その存在を強く感じるということは、大切なものを大切に思えるすばらしさにつながるのではないでしょうか。
 普段、私たちは自分のまわりにあるものを漠然としか見ていないものですが、それが目の前から消えてしまったとき、改めて意識することで、実際よりもその存在を強く感じることがあります。たとえば、好きな人がそばにいても、細かいところにまで注意をはらうことはあまりありませんよね。ところが、その人がいなくなってしまうと、どんな服を着ていたか、髪型はどうだったかなどと、あれこれ考えはじめ、そばにいたとき以上にその人を感じ、存在感が強くなるのです。そういった思いを読者の方々にも感じていただけたらと思いました。

 また、幼い子どもたちは両親や兄弟といった人々に囲まれ、守られ、安心して育っていきますが、ある日突然何か大切なものを失ったとき、現実の「もう一つの世界」を見ることになります。両親が子どもに見せているのは現実のすべてではなく、実はまわりが作り出したフィクションの世界なのです。子どもたちにとって「もう一つの世界」は未知のものであっても、それは前から存在していたものに過ぎません。ただ、まわりの親たちが見せなかっただけのことで、決して悪いものでも、隠しておくべきものでもないのです。何かを失うということは現実のもう一方の側面でしかありません。「あるもの」は良くて、「ないもの」は悪いということもありません。現実とは「あるもの」と「ないもの」が混ざり合って成り立っています。悪いものは良いものの反対ではなく、生活の中の一部分なのです。こうした物事の持つ二面性も表現したいと思いました。

【イ】クレリアという名前はスタンダールの『パルムの僧院』にでてくる自己犠牲的なヒロインからとったものだそうですね。

【グ】たしかに名前は使わせていただきました。身をひいていく点でも似ているかもしれませんね。ですが、クレリアは決して道徳的な存在でも教訓的な存在でもありませんし、自己犠牲を描いているのでもありません。クレリアが良くて、他の虫たちはダメということではないのです。人間ではなく虫の世界を選んで描いたのも、教訓的な面が強調されないようにという配慮からでした。


◆翻訳作業について

【イ】ほそのさんにおうかがいします。『クレリア』の翻訳の際、特に苦労されたところはありますか。グレイニエツさんにご相談なさることはあったのでしょうか。

【ほ】『クレリア』に限ったことではないのですが、いつも出だしの言葉には苦労します。訳し方について、グレイニエツさんに相談することはありました。たとえば、「にょろにょろ」というクレリアの言葉は、原文では「イイイイ〜〜ーッ」というような音だったのですが、これでは日本人にはピンとこないのではないかと思い、「にょろにょろ」の言葉の持つイメージを伝えて了解をもらいました。逆に、虫たちのお礼の言葉"Thank you"については、グレイニエツさんの方から「日本語にはお礼の表現の仕方がいろいろあるのだから、訳し分けてみたらどうか」と提案があり、虫のキャラクターに合わせて言い回しを変えて訳してみました。
 また、原文が簡潔な文章なので、訳もできるだけ簡潔に、簡単な言葉を使うように心がけました。訳したときに、生きてくる日本語を使いたいですね。

【イ】『どのあしがさき?』(鈴木出版)では、文章を担当されていますね。

【ほ】私が英文で書いたお話にグレイニエツさんが絵をつけてくださった作品で、私の試訳をつけて持ち込んだのですが、もりひさしさんの訳で出版されることになりました。もりさんの訳には、私の試訳とは違った良さを感じて気に入っています。できあがった絵本の表紙に「ほそのあやこ/作 もりひさし/訳」とあるのを見て、日本人の作品なのに別人の邦訳がついたという、おもしろい現象を実感しました(笑)。

「どのあしがさき?」表紙

『どのあしがさき?
くもとむかでのおはなし』
(チューリップえほんシリーズ)
ほそのあやこ文 マイケル・グレイニエツ絵
もりひさし訳
鈴木出版 1100円(税別)

【イ】グレイニエツさん、ご自分の作品が翻訳という作業を通してから他国の子どもたちの手に届くという意味で、翻訳者に求めていらっしゃるものはありますか。

【グ】私は翻訳された国の言葉を知らないわけですから、どう訳されているのか確かめることはできません。翻訳者というのは音楽でいえば編曲者のようなものではないでしょうか。同じ曲でもピアノ曲にしたりオーケストラにしたり。翻訳する過程で原文に付け足す部分も、削る部分もでてくるでしょう。私としては翻訳者を信頼し、ベストをつくしてほしいと思うだけです。


◆絵本創作のスタイル

【イ】グレイニエツさん、今まで数々の絵本を出版されていますが、ご自分の絵本をどのように考えていらっしゃいますか。

【グ】私の絵本のスタイルはアメリカでは受け入れられにくいと考えています。アメリカでは、絵本の中に必ず教訓が求められる傾向がありますし、商業的にも勝算がなければ出版されることはまずありません。先に述べたような理由から『クレリア』も受け入れられませんでしたし、虫たちが背比べをする話『いちばんたかいのだあれ?』(金の星社)も、最後に一番小さなテントウムシが空を飛んで自分が一番だというのは不公平で背比べにならないと受け入れられませんでした。
 白黒をはっきりさせるアメリカと違って、日本は物事に寛容で、読者の許容範囲も広いように思います。とりあえずなんでも受け入れてくれるような国民性、いい意味でのあいまいさは、私の作品に合っているように思います。
 『お月さまってどんなあじ?』(セーラー出版)が日本で人気をよんだという過去の経験から他の作品も受けるのではないかという気持ちもありますが、いま、私の思いを最大限に表現できる場所は日本だと感じていますし、日本から出版していきたいと考えています。

「いちばんたかいのだあれ?」表紙

   

「お月さまってどんなあじ?」表紙

『いちばんたかいのだあれ?』(金の星社)
マイケル・グレイニエツ作 ほそのあやこ訳
金の星社 1300円(税別)

   

『お月さまってどんなあじ?』
マイケル・グレイニエツ作 いずみちほこ訳
セーラー出版 1500円(税別)

【イ】お話作りのヒントはご自身の生活の中にあるのですか。どういったときに作品のアイデアが浮かぶのでしょう。

【グ】ひとことでは言えませんが、たとえば、誰かと会ったとき印象に残ったことが時間を経て違った形で自然とわいてくることもありますし、旅行して自分のいる場所を変えたときに、ふっとひらめくこともあります。描こうとして描くのではなく、普段の生活の中で浮かんだことを形にしていくといった感じです。


◆仕事を始めたきっかけ

【イ】グレイニエツさんが絵本作家になられたきっかけ、また、ほそのさんが絵本翻訳を手がけられるようになられたきっかけを教えてください。

【グ】映画が好きで映画製作に携わっていましたが、その後、ビジュアルアートの世界へ入り、絵を描くことを始めました。絵本の世界を選んだのは、一枚で完結する絵ではなく、関連を持ちながら連続していく絵にひかれたからです。ページをめくることでストーリーの続いていく絵本は、映画に通じるところがあるかもしれませんね。

【ほ】もともと絵本は好きだったんですが、絵本翻訳を始めたのはまったくの成り行きなんです。長新太さんの絵本が大好きで、グレイニエツさんに即興で英訳して読み聞かせてあげたこともあるんですよ。そうしたらグレイニエツさんも長新太さんの大ファンになってしまって(笑)。五味太郎さん、せなけいこさんや、さのようこさん、田島征三さんもいいですね。


◆今後の予定

【イ】今後の予定を教えてください。これから出版されるものについて差し支えなければご紹介ください。

【グ】いま、フレスコ画の技法を使った絵本を制作中です。
 フレスコ画法というのは壁画に見られる技法で、漆喰が湿っているうちに色を塗ることで、壁と色を一体にすることができるというものです。
 今までは、作品の表面の仕上がり具合は紙の材質にたよるしかありませんでした。けれども、この技法を使い、紙にあたる漆喰の部分から自分の手で作成することで、できあいの紙では表現できなかったような、まったくオリジナルな形状の表面をもった作品を作ることができるのです。実際に絵本にするには、できあがった作品を写真にとって印刷することになりますが、フレスコ画法を使った絵本は初めての試みなので楽しみです。

【ほ】これからもグレイニエツさんの作品を翻訳していきたいと思っていますが、機会があれば他の方の翻訳もやってみたいです。他の方の作品を翻訳する場合も、グレイニエツさんのときと同じように、原作者が存命の方であれば、ファックスやEメールなどでコミュニケーションをとりながら、やっていきたいですね。
 同じ翻訳でも英訳にはあまり興味がないので、日本の絵本を英訳してアメリカに紹介するというようなことは考えていません。
 私は本の装丁の仕事をしていますが、いつか、絵本の絵を描くということもあるかもしれませんね。

インタビュアー : 谷川倫子

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番外編 ――グレイニエツさん&ほそのさんが語る、好きな日本人絵本作家――

長新太についてさんについて

■色の好き嫌いを超えた、エネルギーのようなものを感じます。例えば、ある人は「赤はイヤ」「茶色はイヤ」「青は好き」などという主観的は意見を言います。これは単なる「好き嫌い」で理屈で説明出来るものではありませんよね。でも長さんの色使いは、「色」が見る側の「好き嫌い」の意見を超えたもの、それぞれの色がもつ「エネルギー/光」を感じるのです。

■動物園で象を見て家に帰ってきたあなたが象を描きたいと思いますよね。で、とりあえずその「象の第一印象」を基に、紙に描いてみます。とりあえず象らしきカタチにはなるのですが(牙とか鼻とか大きな耳、足が4本に尻尾がある、など)ちょっとヘンチクリンで、細かい所までは思い出せません。なので、あなたは本やら資料やらで「実際の象のカタチ」を調べてみます。それをあなたは吸収し、今度はもっと「象らしい、正しい絵」を描きます。でもそれは「教育された/外から来た」イメージなのです。その絵は確かに正しい、理科の教科書(レポート)にも出せるような絵になるでしょう。でもそれはあなた自信の記憶から来たものではありませんよね。長さんの絵は、その「教育された」ものをいっさい取り除いてしまった、「実物を見た後の第一印象」だけの記憶から描かれている感じを受けます。

■絵もお話しも現実的なパターン/教育されたパターンに縛られていません。現実の世界の理屈(logic)より、夢の世界の理論/理屈が出てきます。例えば、あなたが象の夢を見るとします。その象のカタチは夢の世界では変形しているかもしれません。でも夢を見ているあなたはその「ヘンケイのゾウ」は当り前のようにすんなりと受け入れる事が出来ます。

五味太郎さんについて

■日常からの発見/日常生活の中でのするどい観察を本にしている。超越:平凡な日常生活を、五味さんは何かとても面白いもの、特別なものに変身させる事が出来る。限界のないアイデアを見つける事が出来る。例えば、「一本の棒」をテーマにして、アイデアを出す事が出来るだろう。

■五味さんも長さんも、メッセージがおしつけがましくない所が好き。二人ともとても生産的である(本を沢山沢山描いている)五味さんの本は「本という形式」を使ってそれを最大限に活用している。本は紙(ページ)数枚を綴じたものでめくる事が出来る。ただ、物語をいくつかに分けてページごとに乗せるだけではなくて、「めくる楽しさ」がある。彼はこの形式をとてもうまく賢く利用していると思う。それはよく編集された映画を見ているようだ。(よく編集された録音を聴いているようだ)。

M・G & A・H

※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています。

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